「お、ラッキー」

深夜まで残業した男性は、タクシーで帰宅しようとしていました。

<空車>の文字が光る車のライトが近づいてくるのを見て、思い切り手を振り上げます。

それに気が付いたタクシーは、速度をゆるめながら ウインカーを出しました。

手を下ろそうとした瞬間、男性の背筋に緊張が走ります。

近づいてくるタクシーの運転席に、誰も乗っていない様に見えたのです。

やばいと思って、固まった手を 何とか下げ様と努力する男性の目の前に、停車するタクシー。

─ ぱこ ─

ドアが、その場にそぐわない音を立てて開きます。

男性は、恐る恐る運転席を確認しますが、やはり誰もいません。

<かちかち>と言うウインカーの音と、点滅するライトに決断をせまられ、男性は覚悟を決めてタクシーに乗り込みます。

「どちらまで ですか?」

無人だと思った車内に、人の声が響きました。

急いで降りようとした瞬間、タクシーのドアは閉まります。

「─ お客さん、どちらまでですか?」

狼狽した男性は、何も言えません。

「大丈夫ですか?」

運転席の背もたれの上に、声の主が現れます。

「─ ぶ、ぶたの…ぬいぐるみ?!」

それは、小さなピンク色の ぶたの ぬいぐるみでした。

喋る度に、<もくもく>と動く鼻の先。

頭には、タクシー会社のマークの入った人間サイズの帽子が、重そうに かろうじて引っかかっていました。

「すいません、どちらまでですか?」

少し落ち着いた男性は、ぶたのぬいぐるみに、自宅の住所を告げます。

「はい、わかりました」

ぶたのぬいぐるみの姿は、運転席の背もたれの上から消えました。

「ちょっと待て! う、運転できるのか?!」

男性が言い掛けた瞬間、タクシーは発車します──

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タクシーは、ぶたのぬいぐるみの かなり丁寧な運転で 滑らかに走行し、無事 目的地に到着したのでした。。。



ぶたぶた【徳間文庫】
矢崎存美
徳間書店
2012-03-02

    

    
★過去の作話★「月白の諧謔」

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